2023年8月11日公開 更新:2023年8月11日

マルタ・アルゲリッチと50年

50 Years with MARTHA ARGERICH

マルタ・アルゲリッチの知られざるエピソード  by Y. KOSEKI

 

31. 自宅訪問

1999年8月、バイロイト音楽祭とザルツブルク音楽祭に行った帰りにブリュッセルに立ち寄ることになった。するとアルゲリッチは、「私の家に泊まれば?」とあっけらかんに言う。「私はツアーに出ていていないけど、大丈夫、言っとくから」、と。そりゃあ嬉しいけど、即答なんかできない。が、結局2日お世話になることになった。

左:表札 右:グロリアさん(2002年4月別府b-conプラザ)

彼女の家は、俗にピアニスト通り、と言われている所にあり、それは彼女が住んでいて、そして彼女を慕ってピアニスト達が集まった結果だ。滞在中、朝から物凄い ”スカルボ” が聴こえてきたが、それはティエンポだった。当時の表札を見ると、上から、S. ARGERICH、M. ARGERICH、A. DUTOIT、A. RABINOVITCH と書かれている。何と豪華な! ちなみに当時の留守電応答は、ラビノヴィチが入れていた。長年、アルゲリッチを生活面で支えているグロリアさんにお世話になった。

彼女の練習室。本来はスタインウェイのフルコンが向かい合ってあるけれどメンテ中で、KAWAI 1台+アップライト1台。

彼女の家は、地下1階に若手居候ピアニスト用ピアノ練習室(YAMAHA)、1Fに彼女が練習するピアノ室、中2階に彼女の部屋、2Fにリビング(スタインウエイBがある)等々があり、私は3Fに泊めてもらった。彼女のざっくばらんさは理解を超えていて、例えはアルゼンチンで若いピアニストが「貴方の下で学びたいんです」、「じゃ、来れば」、「住むところがないんです」、「じゃ、住めば」、という感じで、常に何人か出入りしている。

リビングには、圧倒的な存在感のある猫 ”ジンジャー” がいた。彼女が歩くと皆が道を開ける。アルゲリッチの化身だと思った。滞在した部屋には、黒ネコの ”タンゴ” がよく遊びに来てすっかり仲良くなり、夜は一緒に寝た。私は他人のプライヴァシーは尊重するので、家内や子供の携帯とか見たことも無いし見ようとも全く思わない人なので、留守中であった彼女の部屋は覗いていない。しかし、たまたま滞在していた部屋の押入れを開けたら、手紙がころがっていた。差出人はオリビエ・メシアン。ラビノヴィチとの録音 「アーメンの幻影」を聴いて絶賛の手紙を送った、というあの手紙だった。無造作というかこだわらないというか、おそらく本人もどこへ置いたか覚えていないのだろう。

こだわりが無いのはオーディオ装置もそうで、学生が使っているような粗末なSONY製のコンポを使用。これで結構な大音量で聴く。寄付したい位だが、彼女の取り巻きは良くない人もいて、CDとか無くなる、と言っていた。以前、彼女の健康を考えて電子タバコをあげたら、その日の内に無くなってしまって、怒りが込み上げた。お前に買った覚えはない。人の物を黙って盗ったり、金をせびる者は消えよ!
 

2018年のGWに家内とオランダ、ベルギーを回った。ブリュッセル滞在中、アルゲリッチが帰宅する、というので空港に迎えに行った。さすがに、あの表札の名前は換わっていた。長女アニーの次男の誕生日だったけれど、パーティーはそこそこに練習する、という。ハンプソンとシューマン「詩人の恋」を演奏するのに、まだまだ練習が足りないらしい。しかし、その練習は実に楽しそうだった。やっぱりシューマンは好きなんだなあ。カワイのトイ・ピアノでも仰天、驚愕のシューマンを弾いてくれた。


練習風景と書棚の写真を家内に説明するアルゲリッチ

書棚にあった若い時の写真

練習の邪魔をしてはいけないので早々に退散した。彼女は毎回、見送ってくれる。身に余る優しさで、いつまでも心に暖かいものが残る。


 

アルゲリッチの録音、来日記録:Martha Argerich Recordings

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