2022年1月15日公開 更新:2024年2月18日

マルタ・アルゲリッチと50年

50 Years with MARTHA ARGERICH

マルタ・アルゲリッチの知られざるエピソード  by Y. KOSEKI

 

3. ピアノを鳴らす天才

ラ・フォル・ジュルネのリハにて(20145月、東京 )

超絶技巧、天才と言われてきた音楽家は昔から数知れず。その中でもアルゲリッチは別格的な存在だ。音楽を表現するためのテクニックだけれど、テクニックがあれば自由自在に表現でき、制限から解放される。その代表格が彼女だ。天衣無縫、と言われる所以。テクニックだけを前面に押し出しても音楽にはならないし、本当のテクニックは表面的な派手なところではなく、もっと別のところにある。

彼女のピアノの音は美しい。しかも、とにかく「鳴る」のである。大男が力任せに ff を鍵盤に叩きつけてもピアノは悲鳴を上げるだけで音も汚い。彼女の ff は決して濁らず、ズーンと鳴り響くのだ。しかも結果的に音は誰よりも大きい。指・腕だけではなく、全身のバネの成せる業か。

デュオを始めた頃、彼女は自分のピアニズムで弾いていた。1985年、ベロフとのデュオ・コンサートでは、彼女が弾く左側のピアノが圧倒的な響きとスケールの大きさに感嘆。右側のベロフは豆電球のようで、ピアノが随分違うんだな、と思った。後半、彼女が右側のピアノを演奏。すると今度は右側が圧倒的な響きに。左側のベロフはすっかり霞んでしまった。今は彼女は相手に合わせてコントロールするのでそのようなことは無いけれど、弾き手によって、ここまでピアノの鳴り方が違うという事実に驚嘆した。 

彼女のオクターヴは昔から有名。チャイコフスキーのコンチェルトでも、何でオクターヴで ff であの速度で弾けるのか、人間業とは思えない。腕力があるのは確か。24歳でショパン ・コンクールで優勝する前まで、腕相撲全勝無敗(含男性)とか。「ねえ、ちょっと」と腕をつかまれると、体全体が簡単に持っていかれる。子供の時は水泳もやっていて、相当凄かったらしい。奇跡の肉体の原点か。

 グリッサンド。原理は、ただ鍵盤上を左右に手を動かすだけ、ではあるのだが、彼女のそれは、虹がかかるように美しく息をのむ程だ。他のピアニストとは全く音が違う。特に8090年代は魔法のようだった。未だその美しさに肉薄するピアニストを私は知らない。

どうしても手にばかり注目が行ってしまいがちだけれど、もし彼女の演奏を見る機会があったら、是非彼女のペダリングにも注目して欲しい。実に細かく当てていて、どうも見ても天性としか思えない程、絶妙な動きなのだ。全く濁らない美しい響きの秘密はここにもある。

ルガーノ音楽祭のリハにて(20156月)

パリの凱旋門近くに、ヤマハ・アーチストサービスがあった。いくつかスタジオがあって、いろいろなピアニストが良く利用していた。1Fのピアノは、時々、海老彰子さんが弾いていた。もちろんピアニスト達が練習で弾いているピアノだから、一定水準以上。ところがある日、弾いたら今までと全く違っていたという。音の響きは美しく激変し、タッチも格段に弾きやすく変わっていたらしい。聞けば、前日アルゲリッチが一晩弾いていたとのこと。「いったい、アルゲリッチというピアニストは、何という人なの!」と驚嘆したと聞いた。まだ調教が行き届いていない馬や駄馬を名人が乗って調教、良い馬へ変えてしまうのを「馴致(じゅんち)」という。 もちろんヤマハは名馬。彼女は弾いて、さらなる名馬にまで変えてしまう威力も持ち合わせている。

ラ・フォル・ジュルネのリハにて(20145月、東京 )

20185月。彼女の家に遊びに行った時、KAWAIのトイ・ピアノを弾いてくれた。これが、とてつもない音を出すのだ。まるで三輪車がいきなりF1のコースで疾走するような衝撃!

動画からクリップ )

弘法、筆を選ばず。しかし、筆を選んで頂点の極み。

 
アルゲリッチの録音、来日記録:Martha Argerich Recordings

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