2023年8月10日公開 更新:2023年8月10日

マルタ・アルゲリッチと50年

50 Years with MARTHA ARGERICH

マルタ・アルゲリッチの知られざるエピソード  by Y. KOSEKI

 

30. 別府アルゲリッチ音楽祭-3

2008年5月、大分

別府では 、アジアの音楽家との交流を大切にしている他、音大生によるオケを登用し、彼ら/彼女らの音楽人生に多大なる財産を与えている。音大生オケ→プロより下手などという単純な思考はここでは成り立たない。1998年のチョン・ミョンフン/桐朋学園大学オケのブラームス 交響曲第1番、プロコフィエフ 3番のコンチェルトの熱い演奏は、思い出すだけで涙が溢れそうになる。彼は私の敬愛する数少ない指揮者で、彼の創り出すフレーズ/音楽には本当に稀有な才能を感じる。それに応えた桐朋オケに大拍手!
 

左:2001年4月、別府  右:2003年5月10日、新奏楽堂

2003年は、アルゲリッチの来日が遅れ、彼女無しでパッパーノ/藝大オケの東京公演が行われた。会場では、アルゲリッチ抜き、アマオケでこの値段か、という声が多数聞こえた。しかし、GP、9日、10日と演奏する度に格段に成長していく様は圧巻で、この音楽祭の真髄を目撃した。アンコールの「闘牛士の歌」は、正に闘牛士が乗り移った希代の名演!
 

 

プレイバックの確認(2008年5月別府)

2006年は、東京音大オケが登場。当初、「大丈夫か?」という声もあったようだ。というのも、今は私立の音大は定員を満たすのが大変な状況で、大学維持のために、全く弾けない、歌えない人まで入学させている大学もあるのが現状なのだ。しかし底辺はともかく、トップには優れた才能が集まるのはいずこも同じ。 藝大や東大などのブランド大学に入学できたとしても、それは長い人生のなかでは初期、スタートなのであって、その後追い越されてしまう場合も少なくないのは普通のことだ。

前日のリハ、ショクタコーヴィチのチェロ協奏曲。冒頭でホルン・ソロがある。ホールにホルンが響き渡った瞬間、「あれ、日本にこんないい音を出すホルン奏者っていたかな?」と驚愕。すぐにプログラムを開き、助っ人の演奏家の名前を探した、がいない。それは学生の木川博史君だった。初日、ホルンのテーマが始まった瞬間、マイスキーは驚いて後ろを振り返り、「君は今、世界中のどのオケに行ってもすぐに吹けるよ」と言った。それから9年、2015年に木川さんは紀尾井シンフォニエッタのメンバーとして別府に戻ってきた。彼は、「あの時の体験が無かったら、今の自分は無かった」と言っていた。この音楽祭のテーマの一つ、「育む」がいかに花咲いているかの証明でもあった。

2007年4月、別府

2011年は、桐朋学園オーケストラにモスクワ・ソロイツ選抜メンバーが加わった。しかしながら、モスクワ・ソロイツは相当な練習不足で、主役は桐朋学園オケだった。ショパンのピアノ協奏曲第1番のリハーサルの時、バシュメットはアルゲリッチそっちのけで弦のボウイングの教授を始めた。それは延々と続いたのだが、終わった後、アルゲリッチは、「あれは良かったわ! 学生達もそうとう勉強になったと思うの」と。何もかも流石である。
 

 

この音楽祭の常連、清水高師 氏と(2011年5月大分)

2001年、チャイコフスキーのピアノ協奏曲。この時、彼女は極度の腰痛に悩まされていて、前日、「明日は弾けない、キャンセルしたい」と言っていた。あの曲は相当な体力を要するし、あのオクターヴの連打は彼女の伝説ともなっている。確かに腰痛があったら無理な曲だ。しかし、「今日決めずに、明日朝弾いてみて、その状態で決めれば良いのでは」と説得した。また、「今日は腰痛が酷くて体調は万全ではないけれど、弾きます」とアナウンスを入れてもよいのでは、とも進言した。

演奏会当日、朝日を浴びるアルゲリッチと試弾(2001年4月、別府)

翌朝、弾いてみたら、大丈夫そう、と。湿布薬や、長年彼女のマッサージを担当している本郷さんの腰痛ベルトも役立ったと思う。結果的に大変な名演!だった。第1楽章が終わって目があったら、「大丈夫よ、弾けるわ」とサインを送ってくれた。頭がしびれてしまう程感激した。終演後、彼女の弟のカシケが、”She is the music!"と言って泣き出して、皆もらい泣き。楽屋に挨拶に行こうとしたら、「あなたはここまでです。入れません」と言われた。天国から地獄へ落されてしまった。誤解と、No.21に書いた理由が関わっているのだけれど、これが続くと、もう別府へは行けないな、と思う時もある。ある時、それを知った彼女は、「彼はあなた方より古い友人なのよ」と言って私の腕を取って前を歩いたこともあった。長年音楽祭を陰から支援し続けていて、毎年大変お世話になっているけれど、悲しい思いは深い傷となって、私は別府では ”微妙な立場” なのであった。
 

アルゲリッチの録音、来日記録:Martha Argerich Recordings

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