2022年1月16日公開 更新:2024年2月18日

マルタ・アルゲリッチと50年

50 Years with MARTHA ARGERICH

マルタ・アルゲリッチの知られざるエピソード  by Y. KOSEKI

 

8. 良いファンであり続けること

1994年1月、東京

音楽を聴いていると、恋愛感情と似た感覚に陥る時がある。胸がキュンとして、狂おしさすら感じる。また、異性(時に同性)の演奏家へのファン心理は、恋愛感情と同じ、あるいは近似的でもある。しかし、あくまでもバーチャル。現実とは切り離して考えないと、あらぬ方向へ走ってしまうだろう。それが自己中心的/ストーカーになってくると、私がこれだけ思っているのに振り向かないのは相手が悪いのだ、と凶行に走り、悲惨な事件を引き起こしかねない。 

演奏する側や、いわゆる芸術家たちは恋愛感情領域が活性化していて恋愛を繰り返し、時に破滅へ向かってまっしぐらの人もいる。後先考えず、突っ走れる人は本当にうらやましいが、私の場合は失うものも多く、そうもいかない。

ファンでない人が、「アルゲリッチは嫌いです」とか、時に雑誌の三文記事を鵜呑みにして、「あの高慢ちきな女」などと言われても、私は何も傷つかないし、好みも人それぞれなので、何とも思わない。私だって、神のように崇められている指揮者や人気の演奏家で「パス」の人が沢山いる。

 傷つくのは、まるでストーカーのような扱いを受けたり、節度無い人と決めつけて粗雑な扱いを受けること。音楽愛好家の中には、全国どころか海外にまで聴きに行く人は普通にいるけれど、無知な人達にとっては、遠方に聴きに行くだけで危険人物に映るらしい。そういった人たちが仕切ると、手に負えない事態に陥る。

 19959月、別府で11年ぶりに行われたソロ ・コンサート。ショパン ピアノ・ソナタ第3番は、完璧に感情をコントロールした上で燃え上がった本当の名演だった。終わった後、「どうだった?」と彼女。親しいファンが、「私は好きでは無い」と言った。その夜、彼女は極度に落ち込み、「もう私はソロはやらない。ピアノを弾くべきではない」と言っていたと聞いた。しかし何故か、私がそれを言ったことにすり替わってしまい、周囲に広まった。「貴方のせいで、彼女は大きく傷ついた」と言われた時、山のように大量の氷水を背中にかけられ、頭を殴られたような衝撃で、しばらく口もきけなかった。敬愛してやまない、そしていつも彼女のことを一番大切に考えている女神を傷つける訳がないのに。普通の精神状態に戻るのに、相当な月日を要したのは言うまでも無い。

 今は、巷でちょっと人気がある人をカリスマと呼ぶようになったけれど、本来の意味での真のカリスマは、冷静なファンでいることを許さない程の魅力がある。しかしながら、純粋に良いファンであること、あり続けること。それは、やはり相手への思いやりだと思う。

 コンサート後、彼女は疲労困憊。ファンはサインを求めて長蛇の列を作る。彼女の健康を考え、今日は裏口から脱出しましょう、の声がかかる場合もあるが、今は彼女は、「サインをしなければ」と列に向う。アルゲリッチという人物は、現在自分がどういう立場なのか、よく理解している。中には1人で毎回10枚以上サインを求める人もいて、呆れてしまうこともある。やはりドイツでも1人で何枚もサインをさせる人がいて、

「どうして、そんなにサインを求めるの?」
と聞いたら
「売るためです!」
ときっぱり答えた、と。流石の彼女も苦笑していた。


2016年5月、大分
 

アルゲリッチの録音、来日記録:Martha Argerich Recordings

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