2022年1月16日公開 更新:2024年2月18日

マルタ・アルゲリッチと50年

50 Years with MARTHA ARGERICH

マルタ・アルゲリッチの知られざるエピソード  by Y. KOSEKI

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6. 聖地巡礼-1

19989月、ブエノス・アイレスで国際学会がある。おお、それは行くしかない!

写真家の木之下 晃さんのアトリエで、「今度、アルゼンチンに行く」と言ったら、数万枚ある写真ファイルから、即座にアルゲリッチの生家とスカラムッツァのお墓の写真を出してくれた。彼は必ず音楽にも詳しい通訳を雇う。写真のファイルには、現地の取材で得た情報が克明に書き込まれたメモが添えてあった。しかも、その内容は、ただ歩き回るだけでは決して知りえないような、貴重なものばかりであった。一流の写真家は、一流のジャーナリストでもある。お膳立てしてもらってシャッターを切るなんぞ、誰にでもできる。 

ブエノス・アイレスに着いたのは、土曜。モヤが無く、光のコントラストが綺麗。まさにブエノス・アイレス(良い空気)!  ところが、月曜になると日本ではお目にかかれないような古い車が大量に走っていて、もうもうと排気ガスを出している。金曜には溜まったスモッグで空は灰色。ところが土曜は交通量がグンと減り、大平原・パンパを風が駆け抜け、空気はまたすっかりキレイになっているのであった。地球の自浄能力って凄い。 

学会発表の合間に、旧丸ノ内線車両の地下鉄*に乗り市内を観光し、夜はタンゴや、とてつもなく大量に運ばれてくる肉料理を楽しんだ。が、しかし、私の場合は何と言っても、テアトロ・コロン(コロン劇場)!   まず、演奏会形式の「ノルマ」を観た。ステージには椅子が並べられているが、ハンドバッグ持参で入ってきた合唱団員は椅子が足りなくて座れない。手渡しで椅子を補充。国民性の違いにビックリ。

*日本が地下鉄を作る際、ブエノス・アイレスに見学に行き、同じ線路幅を選択した。今は日本の中古車両が走行している。扉には、乗務員室などの漢字表記が残っている。

テアトロ・コロン。アルゼンチンの黄金期だった1908年に竣工。壁面には、錚々たる
音楽家の名を連ねる。手前の大きな通りは、“79日通り” と呼ばれる、幅約140m
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車線の世界一広い通り。79日は、アルゼンチンの独立記念日。
 

夜のテアトロ・コロン。信号が青になると一斉に車が発進するので、
劇場前の
ホテルに泊まると、騒音で睡眠障害に見舞われる。

さて、1日時間が取れたので、木之下さんに教えてもらったアルゲリッチの生家とスカラムッツァのお墓に向かった。彼女は、ブエノス・アイレスの北西にある大学都市・高級住宅街として知られるベルグラーノ地区で育った。写真下、この建物の2-3F。この路地を幼いマルティータが走っている光景を想像し、胸が熱くなった。後日、本人に見せたら、ここは生家ではなく、生まれた後、数年過ごした家だと判った。しかしながら、ここは彼女がピアノを弾き始め、そして育った記念すべき貴重な場所。

 

アルゲリッチが育った家。1Fは薬局になっていた。

2000年に、アルゲリッチの弟ホアン(あだ名はカシケ:酋長の意。皆ホアンではなくカシケと呼ぶ)が、生家の写真を送ってくれた。場所はベルグラーノ地区より少し南東のパレルモ地区。この角の家の2Fが生家、とのこと。

アルゲリッチの生家

アルゼンチンの墓地は広大で、一つ一つのお墓が小さな教会のような作りで実に大きく立派だった。スカラムッツァの墓は、3時間以上歩き回っても発見できず諦めかけたが、ここまで来たのだから、という思いから、電話帳にあったスカラムッツァ家を上から順に電話して問い合わせた。ようやく該当のスカラムッツァの子孫の方と繋がり、お墓の場所を教えてもらい行くことができた。

スカラムッツァの墓
 

アルゲリッチの録音、来日記録:Martha Argerich Recordings

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