2023年12月12日公開 更新:2023年12月13日

マルタ・アルゲリッチと50年

50 Years with MARTHA ARGERICH

マルタ・アルゲリッチの知られざるエピソード  by Y. KOSEKI

 

49. 夢はしっかり見続けていれば叶う。でも見続けているだけでは叶わない。

私は様々な楽器と接してきたけれど、50歳になって始めたチェロは、世界的に活躍している方達とラヴェルの弦楽四重奏曲第1楽章を一緒に演奏していただいたり、私のCDLa Piccola Portaでは、「カヴァレリア・ルスティカーナ」の間奏曲を収録出来たりと、分不相応な成果を上げることができた。しかし、悲しい位下手で練習もしないので、何とも不甲斐ない。


CDLa Piccola Porta

一方、同じく偶然、50を過ぎてからソロに転向した声楽はどんどん声が出るようになり、気づいたら数多くのアリアを歌うようになっていた。プロの方達とコンサートに出たり、日本を代表する方々とCDを出したり、そこそこ成果を上げるまでになった。
アルゲリッチと共演したい、と誰しもが思うだろう。しかしながら、自分がそれに相応しい演奏家かどうか冷静に自問自答し、そして、彼女の偉大さを知れば知る程、その願いは遠のいて行くだろう。彼女も歳をとって丸くなったせいか、中には、「こんな人とも共演するんだ」と思うこともある。そうなると、私も彼女のファンになって半世紀近いし、自分の人生を捧げてきた身としては、冥途の土産に歌曲で... と頭を過ることもあった。しかしながら、そんな恐れ多いことを口に出すのに何年か悩み、そしてある晩、遂に血が逆流する思いでお願いしたのであった。すると、笑顔で「いいわよ」と。

それから毎年、来日の日程を見ていたけれど、とてもお願いできるような隙間もなく、6年の歳月が流れた。そして2022年秋の来日、1113日の1日だけフリーの日があるのがわかった。そこで、事前にpdfで楽譜をお送りし、改めてお伺いを立てたのであった。曲は、デンツァ作曲 「Occhi di Fata/妖精の瞳」。本当は、シュトラウスの “Morgen“ にしたかったけれど、私にはその技量が無い。

高崎(2022年11月12日)

たった1曲だけのコンサート。ホールはダメ元で5か月前には抑えていた。いよいよ1か月前になったら、人に追いかけられる夢や空を飛ぶ夢を毎晩見て、極度の不眠に陥った。おそらく人生で一番緊張した1か月だったのではなかろうか。前日の1112日は、高崎で16時からコンサートだった。コンサート終了後、楽屋に行ったら、盛大なHappy Birthdayを弾いて迎えてくれた。私の65歳の誕生日だったのだけれど、何とゴージャスな! 明日はよろしくお願い致します、と言ったら、「あの曲は難しい。ちゃんと音楽稽古をしよう 。」、とコンサート終了後、急遽、表参道カワイで練習をすることになった。私は当日、合わせをして本番、と思っていたのでビックリ。表参道カワイは、今回の彼女の来日に全面協力をしていて、24時間、自由にピアノが弾けるようになっていた。「どうしたいの?」と、いつもの台詞。始めはこの位のテンポで、ここでリタルダンド、ここでフェルマータ等々、自分の音楽を伝えた。すると、彼女はYouTubeでいろいろな演奏を聴いていて、「こんなテンポのもあったわ。こんなのもあったけど。」といろいろと弾いてみせる。彼女が弾くと何でも素晴らしいので、「あっ、いいですね」と言ったら、「さっきは違うテンポを指定したじゃない。どっち?」と返され、「はい、これでお願いします」と、冷や汗たらたら。歌には呼吸があるので、歌が歌える人のピアノは本当に歌いやすいが、全くそうではないピアニストもいる。彼女のピアノは歌手より歌う、極上の世界だ。そして何よりも、遊びではなく音楽家として、しっかり合わせをしてくれているのが身に余る程光栄で、言葉も無い。

1時間程して、休憩。ここから歩いて数分のところに私のオフィスがあり、そこに行くことになった。上の部屋を開けて電気を付けたら、いきなり “Happy Birthday!”  良くあるサプライズそのもので、家内と友人の酒井 茜さんが誕生日パーティーを準備してくれていたのであった。どうやらアルゲリッチも知っていたようで、にこにこ。知らなかったのは私だけ。アルゲリッチもHappy Birthdayを歌ってくれて、天にも昇るような幸福につつまれたパーティーとなった。

さて、当日。胃に穴が開くか、という程のギリギリした緊張。聴きに来たい、という多くの声楽家達がいたけれど、混乱するから、ということで、観客はほんの数人だけのクローズド・コンサートとなった。彼女は買い物の後、会場のHall 60に着く予定で、しっかり茜さんがサポートしてくれた。
さあ到着。ここにはSteinway Bがあって、「良いピアノね」と。まずは通して1回。そしていくつか確認してもう1回。そして観客を入れて、いよいよ本番開始。歌いながら、あっ、そこはちゃんと歌えていないな、という箇所もあったけど、このあり得ない幸せな時は、あっという間に終わってしまった。だって3分半の曲だもの。すると彼女は「もう1回やる?」と。1曲だけのコンサート、ということでお願いしたのに、もう1回なんて悪くて、「お願いします」とは即答できない。するとまた、「もう1回やる?」。つまりは、「あなた、ちゃんと歌えていないでしょう。ここで止めたら一生後悔するわよ」という優しさと、ちゃんと冷静な音楽的お見通しがあるからこその、流石の「もう1回」であることに気づいた。それでは、とアンコールよろしく、もう1回歌わせていただいた。「ほら、2回目の方が良かったでしょ」。

ちなみに彼女が歌の伴奏をしたのは、過去20年で、チェチーリア・バルトリ、トーマス・ハンプソン、ミヒャエル・フォレの3人だけで、私が続く4人目だ。何という恐れ多き幸運! この日を迎えられるかどうかわからなかったけど、何年も前から準備をして来た。歌のレッスンでは、 やはり何年も「課題曲」と称して、この曲を毎回師匠に稽古をつけてもらっていた。また、友人達の献身的な協力無くしては、このような奇跡の日は迎えられなかった。私は運が良い。しかし運が良い人は、私だけではなく、 皆常に広く大きなアンテナを張っている。自分で幸運を呼び寄せているし、見えないところで努力をしている。10代の頃、自分を始めあらゆるものに絶望して、自分は生きる価値など無い人間だ、と死を望んでいた時もあった。そこから這い上がって生きて来て、本当に良かったと思う。ファンになって半世紀、感慨無量である。

公演後、彼女は周囲に「私は誕生日には何もしたくないのに、何で彼は歌いたいのかしら?」と。人生最高の誕生日だった。

 

 疲れた〜!(2018年5月31日、別府)
 

アルゲリッチの録音、来日記録:Martha Argerich Recordings

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