2023年11月26日公開 更新:2023年11月26日

マルタ・アルゲリッチと50年

50 Years with MARTHA ARGERICH

マルタ・アルゲリッチの知られざるエピソード  by Y. KOSEKI

 

47. 大失態

マーラー「千人の交響曲」。第U部は、夢のような天上の音楽から壮大なフィナーレへと続いて行く。終曲  “Chorus Mysticus はかなきものはすべて”  で、合唱のバスは、この音:赤丸 が要求されている。通常、バスの音域の最低音は、この1オクターヴ上位だ。これは「復活」でも同じで、合唱は、この音を基音としてハーモニーを形成しなければ、マーラーの意図した真の世界は表現できない。ところが、これを実声で出せる歌手はごく稀だ。もし私が指揮をするなら、迷わずオクタヴィスト(バスの音域の1オクターヴ下が出せる人 )を投入する。

199111月、ガリー・ベルティーニ/ケルン放送交響楽団の公演。この音がしっかりサントリー・ホールに鳴り響いていて、この曲の神髄が表現されている! 全身鳥肌どころか、全身の毛が抜けるかと思った。そこから壮大なフィナーレ。まさに宇宙が鳴り響いているような響きに満たされ、終わった後、「うおーっ」と声が出た。強烈に感動したら、「ブラボー」なんて3文字も言えない。心の底からの叫びであった。長らく歌から離れていた私は決心した。また歌を歌おう。そして、いつか「千人の交響曲」を歌おう。

その後、東京交響楽団専属合唱団:東響コーラスに入団し、1995年に若杉 弘の指揮で「千人の交響曲」を歌ったのであった。この合唱団は、どんな言語、マタイ受難曲のように長時間の曲でも全て暗譜で歌うので、「千人の交響曲」はすっかり自分のレパートリーとなり、その後も何公演か歌った。そしてある日のベルティーニのコンサートの終了後、あの公演で大変に感動したこと、歌を再開したこと、そして次にもしマエストロがこの曲を振る時があったら、必ず歌いに行く、と伝え、ヴォーカル・スコアにサインをいただいたのであった。

そしてそれは、20045月、東京都東京楽団のマーラー・シリーズで実現した。合唱は晋友会だったけれど、オーディションで臨時団員として入団し、公演に臨んだのであった。かねてから、自分が出演する公演をアルゲリッチに聴いていただきたい、と思っていたが、聴いていただく相応のレヴェルのものでないと、恐れ多くてご招待なんかできない。「千人の交響曲」なら恐らく生で聴いた事がないであろうし、ベルティーニの指揮なら間違いないだろう、と 別府アルゲリッチ音楽祭の東京公演の合い間の520日、みなとみらい公演に招待したのであった。楽団に伝えたら、驚きと同時に最高の席を用意して下さった。そして当日、この大切な大切なチケットを胸ポケットに入れ、家を出たのであった。 ステージに並び、さあ、ベルティーニが出てきて本番、という時に、そのチケットがまだ胸ポケットにあることに気づいた。血の気が引く、とは正にこのことだ。「どうしよう...」、でも今からはどうしようもない。神に祈った。どうか、何らかの方法で会場にいて欲しい!

正直言って、第T部は上の空でしか歌えなかった。歌わない時、そっと会場に目をやったが、何となくそれらしい面影はあったけと、確証は得られない。合唱団員といえども、あからさまな さ迷える目線は、観客にはわかってしまう。実は、ソリストの1人が声の不調で診ていたので、そちらは大丈夫だろうか、とチェックしながら歌っていたので、別な緊張感もあった。もう、どうしようもない。困った時の神頼みは心の中で祈り続け、第II部は集中して歌った。終わって直ぐ、確認したのは言うまでも無い。同行したKajimotoの佐藤さん、別府アルゲリッチ音楽祭の総合プロデューサーの伊藤さん、そして東京都交響楽団の事務局の方々が機転を利かせてくれて、すぐに入場できた、と聞き、どっと体中の力が抜けた。

ベルティーニにアルゲリッチが挨拶。ところが何故か彼はあまり目線を合わせない。「私、昔彼に口説かれたわ」と、なるほど。彼もいろいろと情熱的に女性を口説いていたらしい。その筋で有名なのはデュトワだけど、アルゲリッチによると、長女アニーの同級性を彼女が知っているだけで3人口説いた、とか。

都内のホテルに戻る車中、「ねえ、何を歌っているの? 歌詞の意味は?」と聞いてきた。そういえば、第T部はラテン語だった。“Veni, veni creator Spiritus / 来たれ、創造の主なる聖霊よ” 「それから?」と結局第T部の歌詞を全訳、というか、まるで口頭試問のようだった。U部はファウスト(ドイツ語)だから大丈夫ですよね?(彼女は6ヵ国語堪能)。その後ホテルで、「昔、医者になろうかと思ったこともあったわ」と。もし彼女が医者をやっていたら起きるのは午後 〜夕方だから、診察は夜に12人、話し込んで終わらない。診療不定期。これじゃ生活できない、と結局ピアノを弾いて、やっぱりピアニストだ!

Dr.アルゲリッチ(2004年5月)
 

アルゲリッチの録音、来日記録:Martha Argerich Recordings

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