2023年11月20日公開 更新:2023年11月21日

マルタ・アルゲリッチと50年

50 Years with MARTHA ARGERICH

マルタ・アルゲリッチの知られざるエピソード  by Y. KOSEKI

 

43. 第10回ショパン国際ピアノ・コンクール - 2

16回ショパン国際ピアノコンクール、審査員席 (2010年10月)

さて、1980年のショパン・コンクールでは、あからさまに極端な点を付けた審査員がいてフェアではない、という意見が出た。その原因となったのが、ポゴレリッチ。前代未聞の演奏スタイル、超絶技巧、サテン地の黒パンツにシャツ、紐でネクタイ代わり、という、何もかもが破格の規格外、常識外の出場者が出て来て、審査員の中で評価が真っ二つに分かれたのだ。彼が2次予選に通過したことに抗議してルイス・ケントナーは審査員を降りた、とも言われているが、実際は彼の4人の門下生が2次に進めなかったためのようだ。そして彼が本選に行けなかったことにアルゲリッチは抗議し、審査員を棄権した。ポゴレリッチは、長身でロック・スターのようなカッコ良さもあって、現地では熱烈な女性ファンに囲まれ、アルゲリッチの「彼こそ天才よ」という言葉を残して去って行った箔も付いて、優勝者のダン・タイソンよりも遥かに有名になった。そして間もなく22歳の彼は師事していた43歳のピアニスト:アリザ・ゲゼラーゼと結婚し、またまた世間を賑わせた。

学研「ワルシャワの覇者」〜第10回ショパン国際ピアノ・コンクール

彼の強烈な個性とアルゲリッチとの取り合わせは格好のスキャンダルとしてマスコミに取り上げられ、例によって「自分の意見が通らなかったから審査員を降りた」、わがまま、猛女というような低俗な記事が溢れた。しかし、学研から「ワルシャワの覇者」というショパン・コンクールの歴史を収めた全32枚のDVDが出ていて、この中に第10回コンクールの1次予選からの演奏、ポゴレリッチ本人や審査員達のインタヴューなどが実に13枚もの枚数に収録されている。これを見ると、アルゲリッチは感情的な振舞いではなく、冷静に意見を述べているのがわかる。

また、このコンクールのドタバタ内幕の一端はポゴレリッチ本人の弁によると、彼がモントリオール国際コンクールに優勝後、モスクワ音楽院ピアノ科主任教授だったセルゲイ・ドレンスキーから、1982年のチャイコフスキー・コンクールで一位を取らせるので、1980年のショパン・コンクールには出るな、と指示が出た。しかし彼はそれに従わず出場し、ドレンスキーの息のかかった審査員が彼に極端に低い点を付けた、というもの。アルゲリッチは、審査に不正が行われている、フェアではない、と抗議している。そしてポゴレリッチは本選に行けなかったが、アルゲリッチは「演奏が奇異だからと言って落とすべきではない。彼は残して聴くだけの価値がある」と述べている。彼の評価が分かれたのは至極当然だと思うが、審査で不正が行われている以上、審査員として責任が取れない、と辞退した彼女の主張は極めて正論だ。

第16回ショパン国際ピアノコンクールにて(2010年10月)

彼の評価が真っ二つに分かれたままアルゲリッチは審査員辞退、会場では熱烈大人気、という事態に、コンクールのさ中というのに急遽記者会見が開かれ、そして彼には審査員特別賞が与えられることとなった。
 

アルゲリッチの録音、来日記録:Martha Argerich Recordings

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