2023年11月20日公開 更新:2023年11月24日

マルタ・アルゲリッチと50年

50 Years with MARTHA ARGERICH

マルタ・アルゲリッチの知られざるエピソード  by Y. KOSEKI

 

42. 第10回ショパン国際ピアノ・コンクール - 1

ワルシャワ・フィルハーモニー・ホール (16回ショパン国際ピアノコンクール、2010年10月)

1980年に行われた第10回ショパン国際ピアノコンクール。この時の “事件” を期に、コンクールでの審査法が変わっていった。いわば歴史の転換点と言えよう。

それ以前のコンクールでは、審査員に関連した弟子に贔屓の点を付け、他の出場者にあからさまに低い点を付ける、ソ連を中心とした共産圏審査員による順位の裏取引等々、審査内容には時々疑問が付きまとっていた。そして審査内容はブラックボックスであり、公開される、なんてことはあり得なかった。しかし、冷戦下のチャイコフスキー・コンクールでアメリカ人のヴァン・クライバーンが優勝し、世界を駆け巡る大ニュースとなったこともあった。アルゲリッチは1965年の第7回ショパン・コンクールに出場し、従来のショパンの演奏スタイルではない、という反対意見を黙らせるほどの圧倒的な演奏で、文句なしの優勝をさらって行った。

人が評価し順位を付ける難しさは時代の価値観も関り、フィギュア・スケートはアートでもある、という背景が強かった時代には、ロケットのような見事なジャンプをしていた伊藤みどりより、ほとんど舞踏、表現主体の美貌のカタリーナ・ヴィットが評価され、彼女は金メダルを取り続けた。その後、フィギュア・スケートもスポーツなはずだ、という声が上がり、今の厳格な点数制度に繋がったのは周知の通りである。

ワルシャワ・フィルハーモニー・ホール。右は審査員席 (16回ショパン国際ピアノコンクール、2010年10月)

音楽コンクールは演奏テクニックを競う競技ではないので、点数等で評価はできない。審査員が変わったら順位も変わるだろうし、ショパン・コンクールでの本選出場者だって異なってくるだろう。日本では、演奏者の肩書が未だに重んじられていて、自称首席卒業とか、〇〇コンクール(中には聞いたことも無いものも)で何位とか記載がある。そんなものより、今行われている演奏を聴けばすぐに判ることなのに、と思う。コンクールで優勝すると、まるで天下を取ったようなニュースが流れるが、言うまでも無く、それはプロの演奏家として入口に立っただけであって、そこからが本当の評価だ。しかしながら、命を削ってコンクールに臨んで、あの結果は無いだろう、という評価を目の当たりにすると、本当に気の毒に思うこともある。

ブーニンがショパン・コンクールで優勝して大人気となった時、本国では、もっと凄いピアニストがいる、でも出場年齢に達していない、という噂が流れた。5年後、次のショパン・コンクール開催時には、彼はもう誰もが知る本当に素晴らしいピアニストとして活躍していて、コンクールに出る必要も無くなっていた。そして、そのまま大家となったエフゲニー・キーシンのような稀な例もあるし、近年は、ユジャ・ワンのようにコンクールの順位など何のその、世界中を飛び回っている大人気のピアニストもいる。

半面、どうしてもコンクールで結果を出したくて幾度も挑戦し、35歳の若さで不遇の死を遂げたアレクセイ・スルタノフというピアニストもいる。彼にはコンクールの結果なんて不要だったのに、その評価は許せなかったのだろう。

コンクールで評価が低かった、と受賞拒否、表彰式を欠席したピアニストもいる。しかし、それがコンクールなのであって、それを承知の上で受けるのがコンクールなのだから、そのような思い上がったことをしてはならない。そんな態度を取るなら入賞どころか失格、最初からコンクールなど受けなければ良い。
 

アルゲリッチの録音、来日記録:Martha Argerich Recordings

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