2022年1月15日公開 更新:2024年2月18日

マルタ・アルゲリッチと50年

50 Years with MARTHA ARGERICH

マルタ・アルゲリッチの知られざるエピソード  by Y. KOSEKI

 

4. 珠玉の緩徐楽章

かつてはこれが弾ければ一角の演奏家、等と言われた難曲も、今や小さな子供たちがコンクールで弾いている。ロックの世界で、超絶技巧と崇められたギターやドラム・プレイも、多くの小学生たちがコピーしてYouTubeを賑わしている。かつては鉄棒の着地の決め技だった「月面宙返り」。これが成功すればオリンピックで金メダル、という時代もあったが、今は床で、しかも競技の最初に組み入れられて定番の技の一つになっている。フィギュア・スケートだって、ついこの前まで男子ですら3回転無しで金メダルだった。人の技術的、肉体的進化は、いったいどこまで行くのであろうか。

子供の時に、こんな難しい曲を弾きこなしていると将来どうなるのだろう、と期待も膨らむが、そのまま成長し続けるとは限らず、大人になれば、プロなら皆、当たり前に弾いているので、神童も「普通」の仲間入りだ。8か月で歩いたからといって、カール・ルイスになる訳ではない。

アルゲリッチは4歳でピアノを始め、7歳の時、ベートーヴェンの協奏曲第1番とモーツァルトの協奏曲第20K.466を弾いてデヴューしている。11歳の時のシューマンの協奏曲の録音を聴くと、もはやテクニックは完璧で、その時師事していたスカラムッツァも、もう教えることが無い、と言った。ところが、彼女の場合、そこから今なお進化し続けているのが凄いのである。

一見、超絶技巧とは正反対のように思われる、素人でも弾けるような簡単な単旋律。しかし、ここに生命を入れ、 限りなく果てしない音楽が表現できるかどうかで、本当の芸術家か否かが露呈する。シューマンのトロイメライしかり。ラフマニノフの協奏曲第3番の冒頭しかり。もし、彼女の演奏を聴ける幸せな機会があったら、協奏曲なら第二楽章/緩徐楽章を堪能してほしい。例えば、ショパンのピアノ協奏曲第1番。甘美で胸が締めつけられそうな青春の恋。ラヴェルのピアノ協奏曲。一つ一つが青春の切なくも美しい回顧録。

2015年の広島交響楽団との共演。「平和の夕べ」と名付けられたコンサートでのベートーヴェンピアノ協奏曲第1番。この2楽章を聴けば、メッセージなど何も要らないという程の超絶名演。特に、主題の再現部など、もはや死後の天上の世界のようで、この時が永遠に続いて欲しいと誰しもが願っただろう。

2015年8月11日、サントリーホールでの公演

彼女のこの生きた音楽がきちんと録音/録画されているものは少ないのだが、是非、2010年のルガーノ音楽祭のショパン・ピアノ協奏曲第1番の録音(カスプシク指揮スイス・イタリア語放送管弦楽団)を聴いて欲しい。第2楽章の最後の彼女の pp に幾度、涙を流しただろうか...


 

アルゲリッチの録音、来日記録:Martha Argerich Recordings

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