2023年8月6日公開 更新:2023年8月10日
マルタ・アルゲリッチと50年
50 Years with MARTHA ARGERICH
マルタ・アルゲリッチの知られざるエピソード by Y. KOSEKI
28. 別府アルゲリッチ音楽祭-1
メイン会場のb-conプラザ(2012年5月)
別府アルゲリッチ音楽祭、別名を Music Festival Argerich's Meeting Point in Beppu という。つまり、別府でのアルゲリッチとの出会いの場の音楽祭。出会いは演奏家同士のことでもあり、観客と音楽との出会いのことでもある。そしてアルゲリッチを迎えた音楽祭の元祖でもある。 この音楽祭の後、追って催されたルガーノ音楽祭は理想的で本当に素晴らしい音楽祭だったけれど、スポンサー問題で2016年をもって打ち切りとなってしまった。 しかし、この音楽祭の後を継ぐ形で、ハンブルクでアルゲリッチ音楽祭が2018年から催されている。この音楽祭は、アルゲリッチの親友でピアニストの酒井 茜さんがプロデューサーとして活躍中だ。また、ブエノス・アイレスのアルゲリッチ音楽祭も追ってすぐに開催されたが、事務局の問題やら音楽祭の最中にストが発生したりで、即、中止となってしまった。しかし近年、再び催されるようになってきている。つまり、音楽祭を継続的に催す、ということはかくも大変なことなのだ。
1994年の馬場財団のコンサートが別府アルゲリッチ音楽祭の前身となったけれど、この時のショスタコーヴィチのピアノ協奏曲やシューマンのクインテットの名演を聴いた時、これは大変なことが起きて来たぞ、と驚嘆した。そして翌1995年のソロ・コンサートの超絶名演を皮切りに、プロデューサーの伊藤京子さんの尽力で今に至っている。今は全国で村・町 おこし的な音楽祭も多数行われているが、別府にアルゲリッチという組み合わせを最初に聞いた時の衝撃は大きく、そして街中に溢れるArgerichの文字の幟や看板、ポスターに、もっと驚いたのであった。まだ1990年代は、アルゲリッチはとても怖くて、写真1枚撮るのも大変、インタヴューも困難を極めた音楽家だったのだ。最初に別府入りした時、彼女が来て演奏する、そして彼女の音楽祭が行われる、ということがどれ程物凄いことなのか、音楽祭のボランティアや街の人に言っても、反応は?だった。聞くところによると、スタッフですらアルゲリッチを知る人はあまりいなくて、男性か女性かも知らず、いろいろ調べてみたら、大変な人らしい、と分ってからは大騒ぎになったとか。
まずは街中の風景を紹介したい。これは、b-conプラザの前の通りと幟(左:2012年5月、右:2010年4月)。
会場内(2018年5月)。
ボランティアの方々(会場係:2002年4月、グッズ販売:2016年5月)。売店のアルゲリッチ・コーヒー(2017年5月)。
販売グッズの数々(2008年の例。公式報告書より)。
グランシアタ(上左:2015年5月、上右:2013年5月、下:会場内の垂れ幕 2008年5月)。
街中の看板(2015年5月)、商店街(2008年5月)。
別府杉乃井ホテル(左:2012年5月、右:2007年4月)
喫茶店のドア(2015年5月)、場末の掲示板(2015年5月)、タクシー(2004年5月)、別府駅(2019年6月)。
大分空港(上左:2016年5月、上右:2013年5月、下左:2014年5月、上右:2018年5月、下:2023年5月)。
羽田空港(上左右:2016年5月、下:2018年5月)。
以上、フィルム撮影時代を除くデジカメ記録から選択。
アルゲリッチの録音、来日記録:Martha Argerich Recordings
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