2023年7月11日公開 更新:2023年10月9日
マルタ・アルゲリッチと50年
50 Years with MARTHA ARGERICH
マルタ・アルゲリッチの知られざるエピソード by Y. KOSEKI
26. 家族写真
ここでは彼女を巡って、既に公になっている家族の興味深いショットを公開。
2001年4月20日、別府
弟、ホアン。皆はあだ名:カシケ(酋長)と呼ぶ。ママ・アルゲリッチは、少女アルゲリッチがあまりにも天才だったので、彼女にべったり付きっ切り、かかりっ切りで、弟ホアンの育児はなおざりとなった。アルゲリッチはこのことを大変すまなく思っていて、ずっと弟のバックアップをしていた。写真は2001年別府の楽屋、パッパーノが入ってきた時。同じタイミングで 、やっぱり兄弟だなあ、と思った。
2002年7月のPMF音楽祭。この時、札幌3回、宇都宮、横浜、東京2回と、計7回、プロコの3番のコンチェルトを弾いた。ところがこの時、弟カシケが癌の末期で危篤だった。得意中の得意のこの曲だから、演奏そのものは 毎回見事なのだけれど、上の空であったのは否めなかった。だって人間だもの。
左の写真は、1976年5月羽田空港。母アルゲリッチは、次女アニーと三女ステファニーを連れて来日した。憧れ続けた女神に初めて会ったこの頃、私は挫折と絶望の真っただ中にいた。音楽写真家になろうかと写真の勉強を始めた時でもあった。その時の三女ステファニーの右の写真をアルゲリッチは大変気に入ってくれて、ずっとパスポートと一緒に持ち歩いていた。私とアルゲリッチの関係は、この1枚の写真から始まったのである。
そのステファニー。写真家、映像作家として活躍中で、ドキュメンタリー映画 ”Bloody Daughter" は大いに話題となった。写真は2002年9月、藤沢。ギトリスを追いかけて撮影していた時のもの。
写真は1976年6月、帰国時の羽田空港にて。いたずらっ子アニーはステージ袖にいて、アルゲリッチの演奏が終わると、ぴょんぴょん飛び跳ねて迎い入れ、客席から見える程だった。そんな彼女も大学で教鞭をとった後、今はナレーションでアルゲリッチと共演している。
写真左:2015年6月ルガーノ音楽祭にて。写真右 :2015年8月11日広島交響楽団演奏会にて。
1984年の来日公演の時、東京文化会館のレストラン上野精養軒で偶然長女リダとすれ違った。初めて見る彼女は、それはそれは眩しく、世の中にこんな美人がいたんだ、と仰天し(過去に何度も聞いたぞ、との声もあるが)一瞬で心を撃ち抜かれた。その後、幾度となく撮っているけれど、親子だなあ、と思った写真は、まずこれ。1998年11月の別府。
髪形は同じだし、東洋系の顔立ちだし、機嫌が悪い時の怖さも似ているし、実は腕の太さの感じも似ている。ヴィオラ奏者の彼女は、度々アルゲリッチと共演している。下の写真は、2005年1月31日の演奏会のプレイバックを聴く2人、と打ち上げ時のもの。
これは、2018年5月30日、b-con の楽屋でのショット。
続いて、孫(リダの息子)との写真。写真は、2008年12月来日の時のもの。
彼は今、ピアノを弾いていて、アルゲリッチと ”マ・メール・ロア” を一緒に演奏するまでになった。彼女の家族愛は、動物的に深い。
2017年5月21日、別府
アルゲリッチの録音、来日記録:Martha Argerich Recordings
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