2023年6月29日公開 更新:2024年3月1日

マルタ・アルゲリッチと50年

50 Years with MARTHA ARGERICH

マルタ・アルゲリッチの知られざるエピソード  by Y. KOSEKI

 

24. ネルソンとのピアノ・デュオ

2003年10月19日、鎌倉芸術館(GP)

高校生の時、机の上には小型ラジオが置いてあって、常時NHK-FMを聴いていた。ある夜、モーツァルトのソナタが流れて来た。あまりにも純粋無垢な音楽・演奏は私の部屋を満たし、釘付けとなってしまった。夜のライブ録音の放送だった。誰だろう、と耳を傾けたら、「演奏はネルソン・フレアーです」とあった。昔はフレイレではなく、フレアーと紹介されていた。以来、彼は私の中で特別なピアニストとなった。

音楽を聴く耳と心があれは、わずか3.5cmのスピーカーのラジオだって、しっかり本質が心に届く。私はアンプ等自作するオーディオ・マニアだけど、なぜかオーディオ・マニアには音楽音痴が多くて、話が噛み合うことがほとんど無い。つい先日(2023年6月)に見たオーディオ専門誌でも、オーディオ評論家Oが「このアンプは対位法的な絡みが弱い」とか記載していて、どんな音楽的に貧しい耳なら対位法が弱く聴こえるのかと、呆れ返ってしまった。

さて、アルゲリッチがピアノ・デュオの演奏会を行うようになったは1970年代後半からで、彼女はアレクシス・ゴロヴィンに教わった、と言っていた。1980年のアスコーナでの演奏会はNHK-FMで放送され、新しい世界が開けていく新鮮な驚きがあった。彼女は実に多くのピアニストとデュオを演奏、録音しているけれど、やはりネルソン・フレイレとのデュオは、ちょっと別格だ。技量が互角であるのみならず音楽のベクトルが同じ、そしてそれに加わるスペシャルな何かが加わって至上の音楽が奏でられるのだ。 1995年の別府のソロ・コンサートの後に、どうしてそんなに合うのか、と彼女に聞いたら、「だって本当に小さい頃から一緒にピアノを習って育っているもの」と。ピアノの下であれこれと遊んだりもしていたらしい。

2003年10月の来日公演は、ネルソンと東京(3公演)、神戸、鎌倉、札幌、京都、名古屋、仙台と全国を回った。札幌公演は水曜で、仕事を午前で切り上げることができたので、昼に飛行機で向かった。滞在先のホテルに行ったら、ちょうどロビーでばったりと出会った。これからネルソンと中島公園を散歩するところだという。「今来たの?疲れてるでしょう。私のベッドで寝たら?」とホテルのキーをポーンと渡してきた。と、とんでもない。そんな所に寝れますか! 「散歩にお供していいですか?」


さて その後、ホールでリハーサル。大変興味深かったのは、ラフマニノフの組曲第2番。通常弾く半分の速度でゆっくりと弾き合わせていった。一つ一つ確認するように。その気になれば、いきなり普通のテンポでも弾けるだろうけれど。他のピアニストと、このような形で合わせているのを私は見たことが無い。 鎌倉での公演だったか、連弾の時に2人の指が妙に絡まってしまい、可笑しくてネルソンが思わず吹き出してしまったことがあった。すると最前列にいたご婦人が、咳をしたと勘違いして飴を差し出したこともあった。

2003年10月22日、札幌コンサートホールKitara(GP)

2019年、彼は散歩中に転倒して腕の骨を骨折。その後、再び自宅で転倒、大怪我をしてピアニストとしての完全復帰が難しくなった。2021年のショパン国際ピアノ・コンクールの審査員に選ばれていたけれど、辞退。アルゲリッチも彼に付き添うように辞退した。この2人が審査員に残っていたら、結果も違っていただろう。しかし、コンクールは本来そういう要素も多々あり、それを承知の上で受けるのがコンクール。結果が納得できない、等と表彰式を欠席したり受賞を拒否するなどもっての外である。

2003年10月18日、 ネルソンのバースデー・パーティーにて(東京、六本木)

その後、アルゲリッチは心配してブラジルのネルソンの家に会いに行った。しかし、彼は帰らぬ人となってしまった。ちなみに2人は恋人同士になったことは無い。ネルソンの「恋愛対象」ではなかったので。
 

アルゲリッチの録音、来日記録:Martha Argerich Recordings

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