2023年6月26日公開 更新:2024年3月1日

マルタ・アルゲリッチと50年

50 Years with MARTHA ARGERICH

マルタ・アルゲリッチの知られざるエピソード  by Y. KOSEKI

 

23. アルゲリッチの漫画

今の若者のために、最初に解説。1970年代からFM放送は貴重な音楽ソースであり、内容もホットだった。レコードは高価でネットも無いので、皆FM放送を録音して聴いていた。これをエアチェックといい、FM fan、週間FMという2大誌に、若者向けにFMレコパルという雑誌も発刊され、3誌が毎週のFM番組表、音楽情報、オーディオ情報を届けていた。

このFMレコパルに、アルゲリッチが登場する漫画が掲載された。1978年(号数不明)に「ピアニストの女王 マルタ・アルゲリッチ」、1980年4/28-5/11号に「わが心のピアニシモ 〜スティーブン・ビショップ・コワセビッチ〜」。いずれも花村えい子 画。ずっと保管していて、いずれ本人に見せて感想を聞きたいな、と思っていたが、2006年の別府アルゲリッチ音楽祭にコワセヴィチが来るので、正にここだ、と終演後のパーティーに持ち込んだ。

コワセヴィチと。後ろはギトリス。

コワセヴィチのストーリーは、最初アルゲリッチと付き合っていたが彼女が去って行き、ジャクリーヌ・デュ・プレに好意を持っていたら、バレンボイムと結婚してしまった。孤独の中にいたら、またアルゲリッチとよりを戻しハッピーエンドというもの。2人は興味深く見ていたが、アルゲリッチは、「恋愛の順番が違うわ」と。ちなみに資料提供は、浅利公三。

当時、ロンドン在住の中国人ピアニスト:フー・ツォンの家には沢山の音楽家が出入りしていて、多くのカップルが誕生していた。本人だけが成就しない、キューピッドの家であった。コワセヴィチもデュ・プレも彼の家でのことだった。フー・ツォンは今は笑いながら回想しているけれど、目の前で片っ端から去っていくのだから相当悔しかったと思う。2004年の別府アルゲリッチ音楽祭の時、彼は手を故障していたけれど、情緒と歌がある素晴らしい演奏を届けてくれた。

2004年5月15日、別府

ちなみにアルゲリッチによると、フー・ツォンは弾く時に頭をけっこう振るので、連弾ではよく頭をぶつけられる、と言っていた。

さて、次に「ピアニストの女王 マルタ・アルゲリッチ」。アルゲリッチにトランプのハートのQを送り続けている人がいて、デュトワがどんどん不愉快になっていく。「ピアノの女王に失礼だ」、「私は女王なんて思ったことも無いし、そう思い上がるなら芸術家はおしまいよ」、「あなたがスイスの一流指揮者だなんて思い上がっていたら大笑いだわ」、そこでデュトワはアルゲリッチにビンタ、彼女は床に倒れてしまう。そして夫婦関係は壊れて1974年の夫婦喧嘩来日キャンセルと繋がっていく、というもの。資料提供は、三浦 潤。

まず彼女が聞いたのは、「デュトワが全く似ていない。どうして?」。今では信じられないかもしれないが、1970年代はデュトワは日本では全く無名で、雑誌にも写真1枚すら掲載が無かった。アルゲリッチが結婚した指揮者は「謎」だったのだ。だから推測でデュトワを描いたので、仕方がないところ。 彼がモントリオール交響楽団と快進撃を続けだしたのは、ちょうどこの漫画が出た辺りだった。ちなみに、アルゲリッチとデュトワの離婚はお互いに好きな人がいたので「円満離婚」だったと言っていた。1974年の来日キャンセルでは1億円の違約金を梶本音楽事務所に払った、という噂話もあり、彼女は、「私は日本に大金を支払ったから日本で人気がでたのだわ」と冗談を言ったこともあったらしい。

さて、デュトワのビンタ、張り倒すシーン。「えっ、デュトワは手を上げたことは一度もないわ」、「私はしたけど...」と言った瞬間、しまった、という顔をした。しっかり聞いてしまった。怖いだろうな〜。
 

アルゲリッチの録音、来日記録:Martha Argerich Recordings

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