2022年1月15日公開 更新:2024年2月21日
 

マルタ・アルゲリッチと50年

50 Years with MARTHA ARGERICH

マルタ・アルゲリッチの知られざるエピソード  by Y. KOSEKI

 

2. 真の天才と裸の王様

打ち上げにて(2005年1月、東京)

2005年1月。成田からホテルに着いた彼女を迎え入れた。見ると表情は暗く、青ざめている。
「どうしたの?」
「モーツァルトのニ短調のコンチェルト(協奏曲第20番 K.466)なんて私には難しくて弾けないわ。あれは地獄の音楽よ。わかる? ああ....」
「えっ? だってあなた、7歳の時に弾いてデビューしているじゃない。」
「こういった音楽は苦手なの。キョーコ(伊藤京子さん)の方がうまいわ。私はだめ。弾けない....」

それから毎晩、彼女の猛練習が始まった。今回のプログラムのテーマは「グルダを楽しく想いだす会」。彼女が師事し、敬愛していたフリードリヒ・グルダが2000年1月末に亡くなった。その葬儀直後に来日公演。成田からサントリー・ホールへ直行して弾いたショパン ピアノ協奏曲第1番が空前絶後の名演。その後、高熱で倒れ、15年ぶりのソロ・コンサートは中止となった。今回は、その続きというべきもの。

公演は3日ある。曲目は、モーツァルトの20番のコンチェルト K.466の他、モーツァルト K.242のコンチェルトは、カデンツァにグルダが息子達のために作曲した “パウルのために”、“リコのために” を交えて、パウル・グルダとリコ・グルダ本人達が演奏する特別版。さらに、グルダの代表的名曲 “アリア” を交えてアルゲリッチも加わった3台ピアノ・スペシャル版も2日演奏される。仕掛け人は、梶本音楽事務所(現KAJIMOTO)の佐藤さん。

リハ。一通り終わった後、彼女がひっそりと “アリア” のテーマを弾いた。さらに小さな音で再び。弾きながら彼の事を想いだして「ああ、何で逝ってしまったの」の思いが切々と伝わってきて、涙を誘う。そしてこれは、これ以上無い極上の音楽。

本番1日目。
「どうだった?」
「凄く良かったよ!」
彼女はいつも、「どうだった?」と聞いてくる。最初に聞かれた時は仰天、面食らった。だって、悪い訳無いし、何をこの大御所、女神に言えるというのか。悪い点は自分が一番解っている。どんな演奏だって、私の返事はただ一つ「凄く良かったよ」。本当のファンは、その人の良い所もそうでない所も、不調の時だって、全部ひっくるめて大好きなのだから。
「わかってるわよ。まだダメだわ。」

2日目。
「どうだった?」
「凄く良かったよ!」
「まだ、ダメよ...」
彼女は、夜の練習を止めない。

3日目。
「どうだった?」
「凄く良かったよ!」
「今日は、ちょっと弾けたかな」とニヤッ、肘でやさしく突かれた。
みなわかっている。話す必要なんか無い。

パウル・グルダ(左)、リコ・グルダ(右)

1998年5月の来日。クレメル、マイスキーとのトリオが4公演。4公演目が終わった夜、徹夜でレコーディング。その後、コンチェルトが3公演あった。最終公演翌日には、ヨーロッパでの公演のために出発予定だ。その出発前夜、練習する、という。聞けば、ラヴェルの協奏曲。今まで無数に弾いてきた曲だし、だいたい初見だって普通のピアニストより遙かに弾ける彼女なのに練習!? 部屋にあったサイレント・ピアノに向かった。カタカタというアクションの音だけが聞こえるが、ありえない切れ味と俊敏さ! ただただ凄い!

彼女は練習しない、才能だけで弾いている等と思われがちだし、そう書いている評論家もいる。しかし、彼女ほど努力している人を私は知らない。天才、神童があたりまえのピアノ界。その中でもとてつもなく傑出し、天才の名を欲しいままにしてきた彼女。世の天才は、皆努力家で、本人は努力だとは思っていない。練習が好きなのである。才能があっても努力ができない人は掃いて捨てる程いる。努力ができないのは才能が無いのと同じ。

「私は練習は嫌いじゃ無いの。ただ、始めるまでが大変なの。わかる?」

「この辺で」と妥協するのは普通。しかし、世界の頂点に君臨している人達は、皆、自分に厳しく、己に課しているハードルは限りなく高い。ある程度の地位に収まっている人、特に「先生」と呼ばれる人達は、「最高」と勘違いしている人も多く、自分へのハードルは低い。それは、自分が見えていない「裸の王様」。
 

アルゲリッチの録音、来日記録:Martha Argerich Recordings

#Argerich  #アルゲリッチ  #practice  #練習嫌い

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