2023年6月13日公開 更新:2024年2月22日

マルタ・アルゲリッチと50年

50 Years with MARTHA ARGERICH

マルタ・アルゲリッチの知られざるエピソード  by Y. KOSEKI

 

19. イヴリ・ギトリス

演じるギトリス。反応を楽しむ即興スタイルは彼そのもの。
(2000年11月公演終了後、ホテルのアルゲリッチの部屋にて)

彼は自由すぎるフレーズ故に19世紀スタイルの最後の演奏家などとも言われている。初めは面食らってしまう人もいるだろうけれど、素直に彼の音楽に委ねていく内に、それが生きていて語りかけてくる音楽そのものであり、そしていつの間にか虜になっているのに気づくだろう。ルガーノ音楽祭でアルゲリッチと弾いたフォン・パラディスのシチリアーノは音楽の神髄そのもので、永久世界遺産として残すべきものと断言する。

2002年10月、パリの彼の行きつけのカフェ、レ・ドゥ・マゴで待ち合わせをした時があった。その時、友人の声楽家に渡さなければならないものがあり、ここに立ち寄ってもらった。美人の彼女が入ってくると、もう彼の目線はしっかり彼女を追っている。そして私のことはお構いなしに、「君が入ってきた時から、ぼくは君を見ていたんだよ」と口説き始めた。結局一緒に彼の家に行くことになったのだが、「この帽子はどうだい?一緒に座ろう」。程よいところで助け舟を出し、救出(?)。

2000年11月、映画「SANSA」の撮影が渋谷のセンター街であった時、闊歩しているちょっと凄いギャルを見かけたら、「おい、ちょっと見ろよ!」とニヤニヤ、そしてウォッチングが始まってしまった。その時、彼は風邪を引いていて38度の熱もあったのだが、冬の深夜だというのに頑として帰らない。付き合いきれないので私は帰ったが、翌日平熱で風邪も吹き飛んでしまっていた。恐るべし。

センター街のギトリス

ある時、彼のホテルの部屋にリクエストされたものを届けにいったら、妙にソワソワしている。程なくすると、ピンポーンと美女が入ってきた。「KOSEKIとはいつでも会えるが、彼女とは今日が最後かもしれない。席を外してくれないか?」、「はいはい」。どうやらヨーロッパの列車でたまたま見かけた彼女に、来日したらおいで、と声をかけていたらしい。翌年、彼が具合が悪くなって私に連絡したくなった時、アルゲリッチを通して伺いを立ててきた。「イヴリが、KOSEKIは怒っているに違いないから、直接コンタクトが取れないって。何かあったの?」、最初何のことかわからなかったが、どうやら昨年の追い出しを気にしていたらしい。「え? いつものことだから、全然気にしていません」。可愛いところもあるじゃない。

彼は結婚も3度、90歳を過ぎても常に20代の美女と生活していたけれど、ヴァイオリンだけは生涯を通して一途だった。コンサートが終わって、彼の友人、知人達で大混乱の楽屋でも、常に「ヴァイオリンはどこだ!?」と気にかけていた。その愛器は、ストラディヴァリウス・サンシー。

ある時、彼に呼ばれて部屋に入ったら、もう少し練習するからちょっと待ってくれ、と言われた。彼のために書かれた難曲を弾かなければならないが、まだまだ練習が足りないのだという。普段の自由気ままな彼とは、また異なる一面。その時の真摯に取り組む姿に、彼の音楽の本質の一端を見たような気がした。天才と呼ばれ、世界の頂点を極めている人達は、皆自分に課するハードルは限りなく高く、そして恐ろしく努力家だ。

2007年の来日の時、彼は左手を痛めていた。痛くて弾くのも難しい、という。ゲネプロでも思うように手が動かず、明日の本番はどうなるのだろう、と皆凍り付いた。彼が薬一式を希望したので万全の準備を整えた。その夜、「万が一、薬の副作用でうまく弾けなかったら不本意だ。これから手のポジションを変えて、負担がかからないように研究する」と鏡の前で深夜の猛練習が始まった。それは近寄りがたい程神々しかった。翌日の演奏会は大成功で会場は感動に包まれ、観客も共演した新日本フィルのメンバー達も虜にしてしまった。彼こそが、本当の巨匠だと思う。

彼についてのエピソードは事欠かず、埋没してしまうにはもったいないので、次に少々紹介
 

アルゲリッチの録音、来日記録:Martha Argerich Recordings

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