2023年6月12日公開 更新:2024年2月22日
マルタ・アルゲリッチと50年
50 Years with MARTHA ARGERICH
マルタ・アルゲリッチの知られざるエピソード by Y. KOSEKI
18. 2000年のソロ・コンサート(2000年11月 東京)– その2
左:11月16日、右:11月21日
公演は2回行われた。全部ソロは負担が大きいので、後半はデュオ。これはNYと同じだ。プログラムは、相談して決まった曲に少々加わったものとなった。後半は定番とも言うべきもので、結構な長丁場。
東京で最後のソロは1984年で、16年ぶりだ。1995年の別府のソロ・コンサートが終わった夜、「何でソロを弾かないの? 弾く予定は無いの? と皆聞いてくるけれど、どうしてあなたはそのことについて何も言わないの?」 と。「確かにソロも聴きたいけれど、お陰様でこれ程までに室内楽の幅と世界が広がって、本当に感謝しているんです!」、「そうね。ステファニー(三女)が独り立ちしたら、またソロを弾こうと思っているの」。それから5年、実現となったのであった。
ゲネプロにて
今回、 もちろん素晴らしい演奏だったけれど、今まで聴いてきた彼女の超絶名演レヴェルからすると今一つの感があった。というのも、あまりに多忙、過密スケジュールだったので、練習時間が取れなかったからなのだろうと思う。彼女のような天才でも、しっかり練習できた場合とそうでない場合には差が出てしまうのに遭遇している。 彼女は82歳というのに、公演終了後だってその夜、次の演奏会への練習を欠かさないのだ。とは言うものの、プログラム構成に関われた身としては、この上なき光栄な時であった。
これは、公演後の打ち上げの居酒屋での2ショット。ギトリスはこの写真が大のお気に入りで、何枚もリクエストされた。大きなものは、彼のパリの自宅のピアノの譜面台にも置いてあった。
さて、今回の過密スケジュールの合間に、ベルリン・フィルによる「トリスタンとイゾルデ」の指揮のために来日していたクラウディオ・アバドが病気のために緊急入院となり、同時にアルゲリッチに長年深く関わっていた方も急病で同じ病院に緊急入院となった。彼女は、お見舞いに行く、という。2人とも同じフロアだったけれど、アバドの所はパスしてすぐにホテルに戻りたい、と。タクシーで帰ろうとしたら、「どうやったら最も早く帰れるの?」、「え〜電車ですけど、 混むのでタクシーにしましょう」、「いや、時間を優先したいの」。そんな〜、だって19時の総武線の大混雑に彼女を乗せる訳にはいかないではないか。「いや、電車で帰りたい」 。では、という訳で信濃町から錦糸町まで両腕でがっちりガードして、通勤帰宅ラッシュの中、電車で帰ったのであった。ファンがたまたま遭遇、見かけたら卒倒するような光景だったろうと思うが、誰からも声をかけられることもなく無事帰ることができた。
スペシャル・チームが結成されアバドは無事回復し、全ての公演を終わらせることができた。招聘元も大安堵。アルゲリッチも公演に招待されたが、「トリスタンとイゾルデ」は初めてとのこと。「長いわね〜」。「私には全然長くないけど...」ちなみに私はワグネリアンではない。タンホイザーやオランダ人などはパス 。
実はギトリスは映画「SANSA」のロケも重なっていた。ゲネプロではカメラも回った。
ギトリスはトリュフォーの映画にも出ている役者でもある。彼についてのエピソードは事欠かない。
アルゲリッチの録音、来日記録:Martha Argerich Recordings
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