2023年6月11日公開 更新:2024年2月22日

マルタ・アルゲリッチと50年

50 Years with MARTHA ARGERICH

マルタ・アルゲリッチの知られざるエピソード  by Y. KOSEKI

 

17. 2000年のソロ・コンサート(2000年11月 東京)– その1

東山小学校での音楽交流会(こういった時はギトリスが本領を発揮する)
譜めくりは海老彰子さんという豪華版

延期となった東京公演は、秋へ。ところが、コンチェルトマイスキーとのデュオ公演東山小学校との共演、そしてソロ(+デュオ)公演、と超過密スケジュールだ。全部で12公演もあり、まるでアルゲリッチ音楽祭のよう。

マイスキーとの公演は、武蔵野、名古屋、東京、京都、そして郡山の5公演で、これが終わったらいよいよソロ公演の準備だ。その前に東山小学校との音楽交流会もある。夢のような出会いは、同小学校オーケストラとの共演(2002年2003年)という夢の続きとなった。同校には、その後、次々と著名な音楽家が訪れている。 アウトリーチ活動はすっかり根付いているが、井上道義/新日本フィルが学芸大世田谷小学校でマーラー「復活」の第1楽章を演奏した時、「子供だからこそ炎のような本物を見せる、手加減などしない」と前置きをした 。これには大賛成! よく「子供のために」と銘打った平穏な曲ばかり集めたコンサートを見かけるが、子供を見くびってはいけない。子供には難しいだろう等と大人が余計に考えるのは愚かだ。本物を見せ、聴かせれば芸術への眼は開かれる。

さて、郡山公演が終わって駅で新幹線を待っていたら、2人を見かけた女子高生達が恐る恐る近づいてきて「サインをいただけますか?」と近寄ってきた。東京で1人で10数枚もサインをねだる無礼な人達とは全く異なる、敬意あふれる純朴な振舞い。もちろんサインには応え「とても良い人達ね」。後で、また「 ねえ、良い人達だったわね」。

新幹線は、各駅停車だった。よって座席はガラガラ。2人はいつも終わり・休み無き会話となる。マイスキーは機関銃のようにジョークを飛ばしまくる。いよいよ上野駅に近くなってきた所で、写真を撮りましょう、と提案した。ちょっと待って、とマイスキー。鞄をごそごそ探してM&Mチョコレートを出してきた。ミシャ・マイスキーのM&Mで、マルタ&ミシャのM&M。どうだ!

上野駅から滞在先のホテルまでは、梶本事務所のリムジンにて。ミシャは別事務所のワンボックス・カーだった。梶本のリムジンに一緒に乗りたかったらしく、「何で?」と別れるのを非常に残念がっていた。リムジンはボルボ製の車長を長くして後部座席を対座式にした特注のもの。ちなみに同事務所のもう1台のリムジンは、メルセデス製。運転手は石黒さんという伝説のドライバーで、道という道を知り尽くしているだけでなく、恐ろしいテクニックで東京の道を魔法のように走り抜けていく。一度、後ろについて走ったことがあったが、あの大きなリムジンで住宅街をクネクネと走り抜けたと思ったら高速道路の入り口の正面に。カラヤンは彼が大のお気に入りで、このリムジンにサインをした程だ。

車の中で、「ソロでは何を弾いたらいいかわからないわ」、「じゃ、ショパンの3番のソナタは?」、「いや、あれは難しい」、「うーん、じゃ、NYと同じ、パルティータの2番と戦争ソナタは? 」「私は戦争ソナタの演奏は本当に完璧だったので驚愕したけど」、「そうかしら」「それにスケルツォ3番かしらね」、「アンコールには何を弾いたらいいかしら?」、「水の戯れを弾いてください!」「私は死ぬ前にはあなたの水の戯れを聴きたいんです...」。夜中 、道路工事がそこかしこで行われていた。工事をしている若者が目に入り「ねえ、あの人金髪よ!」「金髪!」。2000年当時は、まだ金髪に染めている人はほとんどいなかったのだ。でも驚く程、そんなに不思議だったのかなあ。
記念すべきソロ・コンサート、録画の許可もいただいた。本人も当然だろうけど、私だってどんどん緊張が増している。
 

アルゲリッチの録音、来日記録:Martha Argerich Recordings

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