2023年6月8日公開 更新:2024年2月22日

マルタ・アルゲリッチと50年

50 Years with MARTHA ARGERICH

マルタ・アルゲリッチの知られざるエピソード  by Y. KOSEKI

 

16. 2000年のソロ・コンサート(2000年3月25日 NY)

カーネギー・ホールの掲示

という訳で、325日にニューヨークのカーネギー・ホールでリサイタルが行われた。前半はソロで、バッハ  パルティータ第2番、ショパン 舟歌、スケルツォ第3番、プロコフィエフ ピアノ・ソナタ第7番、後半は、ジュリアード弦楽四重奏団とシューマン  ピアノ五重奏曲、ネルソン・フレイレとのデュオで、ラヴェル ラ・ヴァルス。この15年間では、彼女は世界中で1995年に別府で1度ソロを弾いただけだ。そして、ニューヨーク/カーネギー・ホールでのソロは、実に19年ぶり。当日のボックス・オフィスにはキャンセル・チケットを求めて長蛇の列、座り込み客が殺到したが、プラチナ・チケットはあろう筈もなく、皆、目はうつろで宙を見たままだ。

会場の灯りが暗くなるや否や大歓声が上がり、彼女が登場すると、足踏みによる地鳴りとブラボーの嵐で、まるでロック・コンサートのよう。開始前に終わった後のような大歓声、ブラボーの嵐に遭遇したのは、クライバー/ウイーン国立による「ばらの騎士」以来。

パルティータは幾分緊張気味に弾き始めたが、すぐに会場の隅々にまで彼女の音楽が満ち溢れ、このコンサートがいかにただならぬものであるのか、皆がすぐに察知したと思う。おお、舟歌! 私は死ぬなら彼女の舟歌を聴きながら、と思っている位で眩暈すら覚える。戦争ソナタ、世の中に完璧な演奏というものがあるのだ、と心底思った。そして後半の音楽に完全に身を任せられる幸福な、そしてあっという間の時...

許可を得て撮影したカーテンコール

アンコールは、ラフマニノフ  組曲第2番〜ヴァルス、ラヴェル マ・メール・ロア〜バゴドの女王。熱狂した聴衆の拍手と歓声は延々と止む事が無く、私にはあっという間だったけれど、カーテンコールは47分続いた、という話も後に聞いた。最後は、ホールの職員が暗くなったステージに置かれたピアノのフタを閉めて、深いため息と共にコンサートは終了となった。

既にカーネギー・ホールのホームページで公表されているが、彼女はこの10年間、悪性黒色腫(癌等の悪性腫瘍の一種)という難病と戦ってきている。手術も3回受けているし、1996年のN響公演では、彼女の演奏からただならぬ異変が起きているのが察知できた程だった。そこからの完全回復を告げる圧倒的な演奏。このコンサートは、現在なお彼女が治療を受けているカリフォルニア・サンタモニカにあるジョン・ウエイン癌研究所のチャリティー・コンサートとして企画された。そして、この趣旨に賛同した共演者、カーネギー・ホール、スタインウェイ社そして多くの人達の協力があって実現可能となったコンサートでもあった。公演終了後には、カーネギー・ホールの隣にあるスタインウェイ本社でパーティーが催された。

パーティー終了後、もう深夜近いというのに、外には多くの熱烈なファンが待っていた。一通りサイン等に応えた後、全長10m近いリムジンに乗り込んで、今度は友人宅へ。リムジンの横で待っていたら、ファンから「君、運転手?」と聞かれた。何らかの情報が欲しかったのだろう。リムジンの中で、長女のアニーに、「マルタが招待してくれて...」とまで言ったら涙声になって詰まって話せなくなったら、「いいの、わかっているわ」。

友人宅、といっても、超高級住宅街の守衛が警備しているアパートメントで、家には20〜30人は収容できる位の物凄く広いフロアがあった。そしてピアノが置いてある部屋があって、黒人の女性が延々とピアノを弾いていた。頑張って弾いていたのだが、 ネルソンは「ロボットみたいに無機的に演奏し続けていて、何で?」と。私は彼女の気持ちもわかるので、返答は適当にお茶を濁した。

中央にネルソン、横にアルゲリッチ

東京のリサイタルが中止となり、ニューヨークで開催。東京は中止ということはなく、これは延期であろう。どうやら東京では11月に行われるらしい。2000年は、彼女のソロ解禁の年だ!
 

アルゲリッチの録音、来日記録:Martha Argerich Recordings

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