2022年2月17日公開 更新:2024年2月21日

マルタ・アルゲリッチと50年

50 Years with MARTHA ARGERICH

マルタ・アルゲリッチの知られざるエピソード  by Y. KOSEKI

 

15. 2000年のソロ・コンサート(2000年2月 東京)

2000年2月2日。コンサート終了後、楽屋にて。

2000年1月27日、彼女が敬愛してやまないグルダが亡くなった。ザルツブルク近郊の街で執り行われた葬儀では、ずっと棺の傍らに立ち尽くし、最後に流れていた涙をぬぐったという。その足で空港へ向かい、成田に着いたら即、公演のあるサントリーホールへ直行。曲はショパンのコンチェルト1番で、開場時間を遅らせてわずかな時間のリハーサル。 ホールの扉が30分程開かなかったので、「何だよ」などという声が聞こえる。

公演は、この上無い素晴らしい名演だった。指揮はアシュケナージ、オケはフィルハーモニア管弦楽団。公演後、「だって彼はこの曲を知り尽くしているもの」と。彼はその後、2004年から3年間N響の音楽監督を務めたが、N響のアシスタント・コンダクターだった岩村 力氏に彼女が「彼ってどうなの?」と聞いたことがあった。「デュトワは、いいねえ〜、でもここは、と延々と絞る。アシュケナージは、いいねえ〜といって練習を切り上げ、さっさと上でピアノを弾いているよ。」と。皆で爆笑した。「やっぱり彼はピアニストよ」。

その後、2月7日と9日にソロ・コンサートが予定されていた。彼女の日本でのソロ・コンサートは別府での1995年の超絶名演以来で、東京では1984年が最後。彼女が東京で16年ぶりにソロを弾くとなれば、それは大変なプラチナ・チケットとなる。ところが、、、彼女は高熱で倒れてしまったのである。無理も無い。こんなハードな行程なら、極度の疲労でウイルスにもやられてしまうだろう。

彼女は1974年に夫婦げんかが元で日本公演をキャンセルしたことがあり、以来、度々キャンセル魔として書かれることとなった。しかしながら、その後の25年、105回の公演で彼女の都合でのキャンセルは一度だけである。後は彼女の手術や闘病のため。話としては「キャンセル魔」とか「わがまま」とか書けば記事も書きやすいのだろうが、いいかげん三流ゴシップ誌のようなアプローチや勉強・知識不足の報道は止めてもらいたいものだ。また近年、彼女ならキャンセルしても皆が「またか」と思うでしょう、とダメもとで遠慮無く無理な日程で公演が組まれたり、時にダブルブッキングされたり。2022年で81歳というのに、どんな若者より忙しい。

医療機関は守秘義務があり、有名人を診ているとか宣伝材料にすることはあり得ない。マッサージ業界では堂々と紹介されている場合もあるようで、そのような施設は言うまでも無く失格である。しかしながら差し障りの無い範囲で少しだけ申し上げると、彼女の血液検査の結果は、あのような高熱+肺炎の起きかけにもかかわらず、わずかな炎症反応が見られただけで完璧であった。検査データは、さながら彼女の超絶テクニックを間近で見ているかのようで「ああ、彼女は選ばれた体なのだ」と感嘆した。そういえば、1997年に悪性黒色腫が肺に再発し手術を受けた際、ずっと看病していた海老彰子さんが、手術を終えて病室に帰ってきた彼女の神々しい穏やかな顔と体を見て、「ああ、神に選ばれた人なんだ」と感じたと言っていた。

来日した演奏家が病気になる。決して珍しいことでは無い。プロモーターとしては、何とか公演ができるように、と望む。当然、本人も、観客も。時に20数億円の公演(オペラの引っ越し公演の目玉指揮者が倒れた)だと、医療チームを結成することもある。しかし医療従事者は、誰の味方だろうか? 例えば恐ろしく強力な薬を使用して無理やり公演を出来るようにしたとする。しかし、演奏者は日本での公演だけでなく、その後の音楽家としての活動は長いのである。演奏家にとって一番ベストな治療は、一時の成果ではなく、音楽家としての将来を見据えての治療だ。そのためには、あえてヤブ医者にならなければならない時もある。つまりは公演の中止、キャンセルへの提言。日本を離れて次の国へ行った時、「いったい日本でどんな治療を受けたんだ!」などと言われないよう、その後の健康回復まで配慮は行う。音楽家をこよなく敬愛する医療従事者は、どちらの立場も痛い程わかるので、胃に穴が開く程悩んで夜は眠れず、悶絶する。

さて、ようやく解熱し帰国、という時に、来3月にカーネギー・ホールでソロ・コンサートがある、という。日程を見れば行けそう、いや行かなければ!
 

アルゲリッチの録音、来日記録:Martha Argerich Recordings

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