2022年1月15日公開 更新:2024年5月20日
マルタ・アルゲリッチと50年
50 Years with MARTHA ARGERICH
彼女をめぐる私的な50の物語
by Y. KOSEKI
*このsiteは、携帯、タブレットではレイアウトが異なって表示されます。
**内容の公開に反対意見がありましたので、公開を中断しました。今後は未定です。
1. はじめに
|
1972年、14歳の時、突然アルゲリッチが女神として降臨してきた。私は彼女を通して、ショパンをシューマンをラヴェルをプロコフィエフを知り、ピアノ音楽の世界を広げていった。思春期の少年にはあまりにも影響力が強く、眩し過ぎる彼女の存在。永遠のマドンナ。 |
2. 真の天才と裸の王様
|
2005年1月。成田からホテルに着いた彼女を迎え入れた。見ると表情は暗く、青ざめている。 |
3. ピアノを鳴らす天才
|
昔から超絶技巧、天才と言われてきた音楽家は数知れず。その中でもアルゲリッチは別格的存在だ。音楽を表現するためのテクニックだけれど、テクニックがあれば自由自在に表現でき、制限から解放される。その代表格が彼女だ。天衣無縫、と言われる所以。 |
4. 珠玉の緩徐楽章
|
かつてはこれが弾ければ一角の演奏家、等と言われた難曲も、今や小さな子供たちがコンクールで弾いている。ロックの世界で、超絶技巧と崇められたギターやドラム・プレイも、普通に小学生がコピーしてYouTubeを賑わしている。 |
5. 私は不幸よ
|
2015年5月。「元気?」 「奥さんは元気?」 彼女は、いつも私自身だけでなく、私の家族の事も気遣う。 「マルタさんは?」「私は不幸よ。」「えっ、どうして??」 続きは、こちら。 |
6. 聖地巡礼-1
|
1998年9月、ブエノス・アイレスで国際学会がある。おお、それは行くしかない! 写真家の木之下 晃さんのアトリエで、「今度、アルゼンチンに行く」と言ったら、数万枚ある写真ファイルから、即座にアルゲリッチの生家とスカラムッツァの写真を出してくれた。 |
7. 聖地巡礼-2
|
イグアスの滝・悪魔の喉笛。訪れた時は、大雨による洪水の直後で、滝の先端にある展望台までの歩道橋が流されていた。「船で展望台まで行ってやる」という人がいて、命がけで見て来た。 |
8. 良いファンであり続けること
|
音楽を聴いていると、恋愛感情と似た感覚に陥る時がある。胸がキュンとして、狂おしさすら感じる。また、異性(時に同性)の演奏家へのファン心理は、恋愛感情と同じ、あるいは近似的でもある。 |
9. 第16回 ショパン国際ピアノコンクール・3次予選 (2010年10月)– その1
|
第16回ショパン・コンクール(3次予選)にやって来た。本当はファイナルまでいたいのだけれど、そこまで仕事は休めない。3次予選は、ソナタ、幻想ポロネーズの他、マズルカやノクターンなど、最もショパンらしい曲に浸れるし、ファイナルには進めない未完の才能にも触れることができる。 |
10. 第16回 ショパン国際ピアノコンクール・3次予選 (2010年10月)– その2
|
今回、使われたピアノは、STEINWAY、FAZIOLI、ヤマハ、カワイの4台。STEINWAYの状態は良いとは思えなかった。本来の美しい音が出ていない。でもWunderは、異次元の美しさを引き出していた。反面、ヤマハは p、pp の響きがこの上なく美しく出せるところがあって.... |
11. 第16回 ショパン国際ピアノコンクール・3次予選 (2010年10月)– その3
|
1位は、Yulianna Avdeevaで、2位はLukas GeniušasとIngolf Wunder、3位にDaniil Trifonovで、3次予選で私に衝撃を与えたEvgeni Bozhanovは、何と4位だ。しかも何も賞が与えられていない。 |
12. 第16回 ショパン国際ピアノコンクール・3次予選 (2010年10月)– 後日談
|
後日、このコンクールで、誰が良かった、とか、某ピアニストは人気があったけれど、絵で例えれば描きすぎ、塗り過ぎだ、とか、いろいろ話をした。また、とある参加ピアニストは、前回のコンクールでダメだった後ワルシャワに残り、ポーランド人の恋人を作り.... |
13. グリーグは弾きにくい
|
第10回別府アルゲリッチ音楽祭。この時、別府と東京の紀尾井ホールで、グリーグのピアノとチェロのためのソナタ イ長調 Op.36 が演奏された。チェロは長年の朋友マイスキー。彼女は沢山のピアノ協奏曲を演奏してきているけれど、グリーグのピアノ協奏曲は、1968年10月にスウェーデン、1969年7月にブエノス・アイレスで演奏しただけだ。 |
14. メロンの彫刻
|
彼女の滞在している部屋が乱雑であるのは有名で、ファンなら誰しもが知っている。写真週刊誌なら、できるだけ汚い、めちゃくちゃに散らかった時の部屋の写真を撮って掲載し、「どうだ!」といったところだろう。 |
15. 2000年のソロ・コンサート(2000年2月 東京)
|
2000年1月27日、彼女が敬愛してやまないグルダが亡くなった。葬儀ではずっと棺の傍らに立ち尽くし、最後に涙をぬぐったという。その足で空港へ向かい、成田に着いたら即、公演のあるサントリーホールへ直行。 続きは、こちら。 |
16. 2000年のソロ・コンサート(2000年3月25日 NY)
|
という訳で、3月25日にニューヨークのカーネギー・ホールでリサイタルが行われた。NY/カーネギー・ホールでのソロは実に19年ぶり。当日のボックス・オフィスにはキャンセル・チケットを求めて長蛇の列、座り込み客が殺到したが、プラチナ・チケットはあろう筈もなく、皆、目はうつろで宙を見たままだ 。 続きは、こちら。 |